- 事務所名:
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KIKUCHI Art Gallery
- 代表者:
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菊地剛志
- 事務所エリア:
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Head office: 東京都多摩市落合
Ebisu office: 東京都渋谷区恵比寿
目次
Q.現在の事業内容を教えてください
「虎ノ門の『港屋』に寿命が訪れて以降は、私自身が興味を持った事業のみを楽しみながら営んでおります。今は農業が大きな世代交代の時期を迎えており、アグリビジネスがチャンスだと思っています。もちろん、誰かがやらなければ衰退し、深刻な食糧自給率の低下を迎える訳です。但し、農業自体が閉塞感に包まれており、一社会を構成する産業として従順する者の意識の低さには驚くばかりです。この辺の意識改革も併せて、チャンスと考えています。」
Q.商売のきっかけは、どのようなものだったのですか?
「大学を卒業して銀行に就職しました。手ぶらで初出勤したら、みんな手帳や電卓を持参してるんです。学生のノリで入行したらとんでもなく厳しくて、びっくりしましたよ。でも、それが『仕事』ということだったのです。毎日毎日ノルマとの戦いで、生意気ですが、ふと気づいたら結構得意になっちゃいました。そして学生時代から自分で商売をしたいなと思っていて、幾つかの候補の中から、『港屋』(そば店)を始めたという訳です。場所は虎ノ門に拘っていて、理由は、私の生年月日が寅年、寅の月、寅の日、寅の刻だからです(笑)。また、20年前って簡単に思うかもしれませんが、インターネットもスマホも無い時代ですからね。そんな中に毎日開店前には200人くらいのお客様が並んでくださいましたので一体何の行列?って感じだったと思います。
その『港屋』を含む一帯が都市開発という形になってしまいました。厨房で倒れるまでと思ってましたからね。でも、実は他にもやりたい事が沢山あったのですが、港屋があまりにも忙しく、他のことには全く手がつけられなかったので、神様くださったタイミングだったのかもしれません。しかし生活習慣とは恐ろしいもので、未だに20年近く続けた3時過ぎに寝て6時に起きるという生活です・・・(笑)。
銀行員を辞める時は反対されましたね。上司も涙ながらに引き止めてくれましたし、そば屋を始めると言うと”バカか”と言われましたよ。私は団塊ジュニア世代ですので、受験も就職も倍率が相当高く、非常に困難な時代であったにも関わらずご縁があって入れてもらえた会社ですから、退職なんて申し訳ない事をしたなという気持ちもありました。但し、銀行での勤務経験が無かったら『今の自分』は無いです。それぐらい経営陣の方々も上司のみなさまも熱かった。現代社会は誰も熱血指導をしない。自分を自分で律する人と律しない人は差が開いていきますね。
話が遡りますが、実は高校生の頃、美大に入りたかったんですが不合格。地方という事もあり、情報が全くない。そもそも美大専門の予備校に行く必要があるなど大人になってから知りました。でもやっぱり、美大に行きたかったという気持ちがどこかにずっと残っていたように思います。やるなら、芸術的なそば屋にしようと思い1年くらいスタジオキッチンに籠りました(笑)。開店して1か月程するともう行列店になっていましたから、運よく波に乗れたんでしょうね。」
Q.御社の成功要因を分析すると、どうなりますか?
「波に乗れたということもあると思いますが、まず修行をする気が無かったんですよ。何をやるにしても勉強はしますが、誰かに師事して10年も修行をするという考えは持っていませんでした。じゃあどうするのかという事ですが、『餅は餅屋』。そばを構成する麺、つゆ、海苔も胡麻も油も、全て世の中にないものを使おうと思ってOEM商品を開発したんです。そこが大きかったかなと思います。
当時は、業務用食材の中から使うというのが多くの人の考えだったと思いますが、私にその考えはありませんでした。だからもう強引ですよ(笑)、お願いだから作ってくれと言われても、受注した側は何処の馬の骨か解らないじゃないですか。しかも相手は全て大きな会社ですから。ここに銀行員の経験が役立ちました。若造が社長に面会希望ですよ。さすが大企業のトップは器が違います。『菊地くん、やってみたまえ』の二つ返事です。
当然ながら業務用の既製品を買うのとは比べ物にならない初期費用や手間が掛かる訳ですが、それをしなければ本物を作れないと思いましたね。厨房でそばを打つ事は無いけれども、唯一無二の食材を使う、そしてオペレーションを徹底的に簡素化していますから、そこが新しかったというか、他にない目の付け所だったのではないでしょうか。
あとは、立ち食いというスタイルですかね。当時は、立ち食い=駅そばですから、街中で、なんで立ち食いなの?椅子を置いたら?と言われることもありました。でも、そこはさすが虎ノ門。テレビ、出版、モデル事務所、アンテナの高い人が溢れていて、最新ガジェット(見た事ない携帯端末や、ポケットコンピューター)を使っているような層の方々が宣伝をしてくれたんです。感度の高い人が今日の『立ち食い文化』を作ってくださったのですね。
客層としてはサラリーマンやOLの方々を中心にご来店いただいていたのですが、開業後10年目あたりに漫画家の弘兼憲史先生がご来店くださいまして、『島耕作』に港屋を出してくださったんです。週刊モーニング(講談社)の発売日は、もうサラリーマンのお客さまはびっくりしてましたよ。以降は、黒塗りでいらっしゃる会社役員の方々が増え、黒塗が列を成して運転手さんが待機している一方、社長が立ち食いのために並んでいるという、新しい文化が出来てました(笑)。さすが『島耕作』さんです。
芸能界のみなさまや著名人の方々にも毎日のように沢山来ていただきましたね。著名人が訪れる店は他にも沢山ありますが、著名人と並んで食べるお店は無いと思います。隣で女優さんが一緒にそばを食べるなんて非現実的すぎて、もはやエンターテイメントですよね。」
Q.過去、もっとも経営が厳しかったとき、どのようなことがありましたか?どう乗り越えましたか?
「全部楽しかったですよ。もちろん色々ありましたが、経営者ですから誰かにやらされていることでもないですし、楽しいと思ってやらないと始まらないじゃないですか。あまり深く考えていないだけかもしれませんけれども(笑)、石橋を叩いて渡るタイプでもありませんし、野球で言えば長嶋茂雄のような、直感型なのかもしれません。長嶋さんは試合中に次はどうしますかと聞かれて、中華料理に行こうか、と試合が終わった後の予定を答えたらしいのですが、その感覚も解らないでもないなと(笑)。」
Q.ポリシーはありますか?
「誰もやっていないことをやろう、というのが仕事に対してのポリシーですね。あと自分が決めている事として、結婚はしない。家族も持たない。自分中心の生活でお相手にご迷惑をかけるんじゃないかという事と、自分のエネルギーが分散されちゃうんじゃないかなと思っていまして。実際、過去にご縁が合った時にはご迷惑をおかけしてしまったことがありました。ですから予定はないのですが、万が一家族を持ってしまったらごめんなさい、先に謝っておきます(笑)。最近は、同級生から息子が成人式とか娘に赤ちゃんがとか話を聞くと、凄いな〜って思いますよ。ちょっと羨ましく思ったりして、娘なら欲しいなぁ〜なんてすぐに矛盾しちゃいます。」
Q.影響を受けた人は誰ですか?
「黒川先生ですよ。間違いないです。他にも影響を受けた人は沢山いて、弘兼憲史先生も勿論ですし、ご縁があった方から、色々吸収しようという気持ちです。でも、大学を出たばかりで何も知らない自分に、厳しくも優しく指導して下さった銀行のみなさんには頭が上がらないです。今も時折ご連絡を頂きますが、お一人は頭取になられるそうで、この時の社会経験が人としての礎を作ってくれたのは間違い無いです。
ビジネスは、その物よりも『プラスαの部分』が意外と本質で、他の仕事にしても同じでしょうから、銀行時代に教えて頂いた、言葉の遣い方や挨拶、お礼など、人との接し方をこれからも大切にしていきたいですね。同じものを扱っても扱う人によって結果に雲泥の差が出るのですから。黒川先生とお話をしていつも思うのですが、机上の話だけではなくて、黒川先生だから、ついついお話ししちゃう事が多いんですよね(笑)。事務所のみなさんも黒川先生そのもの。社員教育が素晴らしいです。黒川先生は税理士になられましたが、何をされても大成功を収めただろうなというオーラがあります。他の税理士の先生にお願いする気にはなりません。やはり『プラスαの部分』=『お人柄』ですよね♡。知識だけの先生もいらっしゃいますから。
知識は誰でも努力次第である程度の水準にはなるでしょう。本来はそこからの『プラスα』の勝負だと思います。分かりやすいので、よく野球で喩えるのですが、成績が全てでは無いという事です。人間性が良くなければ監督やコーチとしてリーダーには向きませんし、タレント転向も難しいでしょう。必ずしもトップ選手が長く活躍する訳ではなくて、成績はそこそこでも息の長い選手もいる訳です。それが世の中で、『プラスα』=『何かキラッと光るもの』を持っているんですね。
逆に私を羨ましがっていただける事もあって、ビジネスで成功された方々は、一人になりたいとか、自由に見える仕事に対する憧れがあるようなんですよね。私はビジネスライクな、あまりドライな話はしたくない。ただ面白い物を作れたら良いなと思ってやっているので、その空気感が伝わるのか、『菊地さんとのお仕事は遊びながらやってる』とよく言われたりもします。自分では分かりませんが、頂点を見た方々はそういう感覚になるのかなと思いますね。
Q.これから生き残っていける企業の条件はどのようなものだと考えますか?
『それは誰もやっていない事をやる』に尽きるんじゃないでしょうか。商売をやっていて見て感じたのは、『最初にやった人には敵わない』ということです。港屋は『ラー油そば』の元祖なのですが、このやり方を真似しているお店も沢山ありますし、もっと美味しいお店もあるかもしれません。但し、結局2番目にやったお店は言葉通り二番煎じなんです。日本人の美意識として、二番煎じ=偽物という事なのです。
だからまだ誰もやっていないことに目をつけるしかないのかなと思います。黒川先生もよく仰っている『スキマ産業』ですよね。私もそういうところにしか興味がありません。常にアンテナを張っているので、誰かがやっていて儲かりそうな事はよく目にしますが、前述の『プラスα』を付けないと自分の成功はないんじゃないかなと思いますね。レールが敷かれているところに乗っても(同じ事をやっても)成功は無理かなと感じます。
ヒントはその辺に沢山落ちていると思いますので、成功とは『プラスα』見つける眼力そのものでは無いでしょうか?難しいという方もいらっしゃるかもしれませんが、見つけようという目で見ていると意外と探せるんですよ。私は、日頃から街を歩いている時なども、何でもそういう目で見ています。
あとは、真面目でけではなく、『ちょっとエッチ』も大事なプラスαと思っております。ビジネスの超一流は下ネタも超一流です。お色気要素を付加すると売上が3割伸びると言われていますし、老若男女、実は興味深々ですからね。良い物を追求すると必ず高級路線にいってしまいますが、大半の消費者は庶民感覚ですので、ちょっとくだけた感覚というのも大事にしないといけません。
黒川先生も星の数程の税理士事務所がある中で、日本で有数の税理士事務所にまで成長させた訳ですから、そういうところを解っていらっしゃるんだろうなと思います。だって、他の税理士事務所と明かに一線を画しますもの。」
Q.今後の展望についてお聞かせください
「私の会社は私が死んだら無くなっちゃいますから、ご迷惑をかけないように、協業=パートナーシップで大きなことを色々とやっていこうかなと思っています。ただ、誰もやっていないことしかやりませんよ。
最後に人生論になってしまいますが、人生はあっという間と思っております。幾つまで仕事をするかは考えたほうが良いという持論です。人には笑われますが、60歳くらいで死んでもおかしくないですよね。誰も死にたいとは思っていないでしょうが、リアルな話であと何年残っているのかと考えると、80歳になってから何かやろうという考えでは遅い。
残り時間を考えて全力で仕事をするほうが有意義と思いますので、何をどうすれば死ぬまでパッピーかという考え方に持っていくと良いのではないでしょうか。要するにビジネスができる時間は有るようで無いというのが本当のところだと思います。
私は現在50歳。仮に残り10年しかないとしたら。石橋を叩いている場合ではない。考えている暇はないので、やりたいことやっちゃおうという感じですよ。ただ、火傷しない程度にね。残り時間が少ないのであれば巨額を投資してやるようなビジネスは必要ないでしょう。結局のところ見栄はいらないんです。愛なんです。だから全てを手に入れた大きな会社の経営者も、一周回って、しっぽりと『小さな自分お店』なんかに憧れるんじゃないかなと思います。
素晴らしい読者の方々が読んでくださっていることと思いますが、私もみなさまに負けないように、色々なものを探して頑張ろうと思います。ありがとうございました♡」
KIKUCHI Art Gallery 菊地剛志
1974年、⼭形県⽣まれ。⽇本⼤学卒業後、銀⾏員を経て独⽴。1年間、独学で徹底的にそばを研究し2002年東京・⻁ノ⾨で「港屋」を創業。そば⽂化の起源であった⽴ち⾷いスタイルにこだわり、そばにラー油という斬新な商品で瞬く間に⽇本屈指の⾏列店となり各界の著名⼈に根強いフアンを持つ。2019年、突然、⻁ノ⾨「港屋」の幕を下ろしたが、現在は、星野リゾート社とメルセデス・ベンツ社が、⼤⼿町/六本⽊/⽻⽥空港にて「港屋」を運営。外⾷産業のみならず、幅広い分野で活躍する経済⼈である。

